乾いたスープボウルが行ってしまう
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日曜「じゃ、終わるね……」→地獄の日々
やだよ~~
オレは基本的にすべての人間を救いたいのだけれど、ひとりの人間にすべてを救うなんてことはできないから選別が必要なわけで、じゃあオレの選別の条件は何かというと「他では救われない人間」ということになるんですね。つまり見捨てられて見捨てられて見捨てられて、ついに誰にも手を差し伸べられなくなり修羅に墜ちた方々。無敵の人への進化条件が整ってしまった人々。そういう人をこそ救いたいと強く思う。「他で救われる人間」は他のヤツが救うんだから任せておけば良いんだよ。役割分担でしょう。ただそんな俺の思惑とは裏腹に、オレの作品で救われちゃってますアピールをしている方々はだいたい他でも全然救われているので本質的にオレのアシストを必要としていないと思う。オレでしか救われない人々に届くのが理想。今のところ「被只他救了」タイプに少なくとも数人かかったっぽい僕呪が一番キルスコアが高いということになる。あれ作った時は随分自信がなかったけど、あのときの俺はむしろもっと自信を持つべきだったと思うね。ああいう曲を作るんなら胸を張らねば。ケッシュウもかなり救われる人を狭めてかつ槍の先端を鋭利に削ったつもりだけど、思った以上に広くかかってしまった。でもあれだけラージアザケれば一部オレでしか(ryには届いただろう。他では救われない者を少しでも多く救う、これがオレの創作における大義的な行動原理です。大義的ではない行動原理は呪いもしくは自傷の代替行為。
モスーシの「光さす方向を自分が向けない」という表現がすごくしっくりきた。ただ僕ら夜の呼ぶ方へ、朝が来ない夜の方へ、だよな。
ゲームを作るにあたって反面教師的に「クソゲーの条件」をずっと考えていたんだけど、万人にとってマイナスになると思われる要素が「フリーズなどの進行不能なバグがある」「ロードが長い」くらいしかなくて思った以上に難しい。難易度とか絵柄とか長さとか、全部人の好みだもん。「多くの人に好かれるゲーム=良ゲー」としてその対義語にクソゲーを置くのなら「多くの人間には刺さらないゲーム」という条件になるが、これは刺さる深度を考慮していない物言いなので本質的にずれている。他に普遍的なクソゲーの条件として「支払ったコストに対して見合わない完成度」というものがあるが、フリゲーの場合はコストを支払わないのでこの条件が適用できない。「時間」をコストととることもできるかもしれないが、つまらないゲームはそもそも時間コストを割く前に離脱されるからね。「支離滅裂なシナリオ」とか「戦闘バランスが悪い」とかだと定義が広すぎて「条件」と呼ぶには不十分なんだよな。あとは「テンポが悪い」は万人にとってストレス要素だと思うけど、これも「ロードが長い」とかに吸収できると思う。というか、おそらく「テンポ」を最上位としたツリーの上にゲームのオモロ樹形図が成り立っているのだと思う。進行不能バグにしてもロードの長さにしても戦闘バランスにしても、すべてテンポを崩すもの。「エンカが多い」とかもかなりのストレス要素だもんね。あとは「操作性が悪い」も致命的になりえると思うけど、やや曖昧。でも操作性はどこまで拘っても良いと思う。悪くはならない。少しでもユーザーの負担を減らす。ただそんな減点方式の考え方で面白いゲームができるのかは疑問。漫画や映画ならそれでいいと思うんだけど、ゲームってそんなに受動的な娯楽じゃない気がするんだよな。。スマホゲーとかならそれでいいのかもしれんが。能動的な快楽を断続的に与えられなければオモロゲーの烙印は貰えない。かも。あとLight Infantryで痛感したのはギャグやノリが寒いとかなり減点でかいなということ。俺はそういういわゆる「痛いノリ」のゲームを愛している側の人間だったはずなのだけど、あまりにも雰囲気に合致していなかったり、ましてそのノリが一昔前の痛さとかじゃなくてTWや淫夢のノリを持ち込むみたいな感じだと目も当てられないことになる。キャラクターの解像度が下がるしね。松井先生が「(ギャグは)食う情報量がすごく大きい割に、作品の本筋から外れることが多い」と非難していた理由がようやくわかった。あとどっかで見たゲームシナリオ指南記事だと「ギャグやダジャレはつまらなかったら最悪だし、仮に面白くても世界観をぶっ壊すからやめろ。どうしてもやりたければキャラクターが関与しない図鑑のテキストとかアイテム説明文とかに挟むくらいにしておけ」みたいなこと言っててなるほどなと思った。
ゲームに限らず、あらゆるコンテンツの離脱はプレイヤーの「toleranceゲージ」みたいなのがゼロになったときに発生すると定義することができ、つまらない要素やストレス要素でそのゲージは減少していき、面白い要素があれば回復していく、みたいな感じになってると思うんですよね。なんで防御力を上げてそのゲージを減らさないようにするのが大事なんだけど、実はこのゲージってよく考えると「ゼロにならない限りはいくら減っても良い」んですよ。減らせば減らすだけ危険度は上がるけど、離脱さえされなければ後からいくらでも回復できるんだから。だから「あえて減らしにいく覚悟」みたいなのも時には必要なんだろうなと思う。わかり易い例で言うと主人公が敵にボコボコにやられるイベントとか。その瞬間はストレス要素となりゲージが減ってしまうが、リベンジイベントまでTP(Tolerance Point)がゼロにならなければ多分お釣りが来るレベルで回収できるだろう。いずれにしてもプレイヤーのストレスコントロールはかなり大事だなと思う。そんな身にもならない話ばかり。
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