一秒前の瞬き
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ハアハアハアハアハアハアハアハアハアハアハアハアハアハアハアハアハアハアハアハアハアハアハアハア
てか進まなくね?
4067文字ノルマ4日放置したんで16268文字ね
はい……
早く書けよ
はい……
↑こういう独りやり取りって幼女のお腹っぽい
俺の名は木原桃矢。趣味は――「いじめ」である。
始まりは小学生の頃、クラスでいじめられている子がいた。その時は俺もいじめっ子ではなく、可哀想だなと思いながらも立ち向かう勇気はなく、他の大多数と同じように「それ」を静観していた。しかしある日、こんな事を宣っているポスターを見つけた。
「いじめを見て見ぬ振りもいじめです」
それをはじめて見た時の衝撃は忘れられない。何を言っているんだ、こいつは?負けるのが分かっていて勇敢に立ち向かえとでも言うのか?それで怪我をしたらどう責任をとってくれるんだ?さらに悪くして、新たないじめの標的にされたらどうしてくれるというんだ?あまりにも無責任だった。こんな紙切れ一枚が、何の責任も負わぬままに勝手に善良な市民である俺を中傷してきた。はたから見れば些細なことかもしれないが、俺にはこれがあまりにも不条理に見えて、とても許せる事ではなかった。
そして俺は思った。いいだろう、そこまで言うんならなってやろうじゃあないか、いじめっ子に。見てみぬふりでいじめっ子なら変わらない。「同じ阿呆なら踊らにゃ損損」とはよく言ったものだ。だったら俺は踊る側になる。我ながら捻た解答だとは思うが、その時の幼き俺が自身の鬱憤を晴らせる術はこれ以外になかった。
いじめっ子に加担するのは拍子抜けするほど簡単だった。皆がいじめている所に適当に加わっていけばいいだけだ。俺の参戦がある程度火付けになったのか、その小学校でのいじめはさらに過激になっていき、結果的にそのいじめられっ子は不登校に追いやられてしまった。全校集会なども開かれたが、加害者が多すぎて全員を捌き切ることができず、適当なお小言で済ませられた。その時、不意に俺に稲妻のような衝撃が走った――「異常だ」と。なんだこれは?善良な生徒一人の人生が、大勢の悪意によって、実質的にほとんど潰されたというのに、加害者である我々にはなんのお咎めもない。むしろ不登校に追い込んだことに対して達成感を感じている者すらいる。優しき者が挫かれクズがのさばる。こんな不条理が許されるのか?許されるとしたら……嗚呼、それはなんと甘美なのだろう。
天啓。それは、「社会では、潰さなければ潰される」というものだった。正気でない世界で、俺もまた正気を喪っていった。
すっかり人を加虐することの美酒に酔った俺は、その後中学でもいじめっ子としての名を轟かせ、いじめっ子キャリアは早6年になろうとしていた。その中学も卒業し、今日は高校の入学式だ。高校の名前は宝島高校。ふざけた名前から分かるように、さして偏差値の高い場所ではない。しかし俺にとっては構わなかった。偏差値の高い高校ならモラルが整っているからいじめが蔓延りにくいだろう。俺の人生はもはや「いじめ」によって支配されていた。「天啓」を賜ったあの日から、俺のちっぽけな自由意志は、加虐の快楽という人形師によって踊らされていた。望むもの、それはいじめのみ。新たな舞台、新たな獲物。俺は思わず舌舐めずりをした。狂っているのは百も承知。しかしそれでいい、否、だからこそ良い。後悔はしていない。おばあちゃんが言っていた――何かに狂える人生は幸せだ。
そうして新天地に赴いた俺は、1年B組という32人のクラスに配属され、LOVE PHANTOMのイントロよりも長く退屈な校長の話と、流れ作業のような自己紹介を終えて、席に付き今後の計画を一心に練っていた。
「いじめ」が成立する条件を知っているだろうか。実はそれはきわめてシンプルなものだ。いじめられたくない者は覚えておくと良い――いじめは、「多勢に無勢」でしか発生し得ない。いかなる場合でも、いじめっ子の人数は、必ずいじめられる側よりも多いのだ。これは絶対である。1対多とまで言いきってしまってもいいかも知れない。それほどまでに重要な原則だ。どれだけ攻めても、一度にいじめられるのは二人までだろう。3人以上をいじめようとする奴は無謀としかいえない。強さの問題ではない、露呈のリスクが上がりすぎる。2人でも1人と比べると圧倒的に危険だ。無料と1円では顧客の食指が何百倍も重くなるように、1人と2人の間にも天と地ほどの差があるのだ。向こうが取れる選択肢は圧倒的に増え、こちらのリスクは飛躍的に上がる。故に原則としていじめるのは一人。この大前提をもとに考えると、この一週間でやるべきことは自ずと見えてくる。まず、クラスメイトの観察。全員の特徴とヒエラルキーをいち早く把握し、可能な限り優良な―いじめやすい物件を見つけなければならない。いわば企業研究のようなものだ。それと同時にやらなければならないのが、仲間集めだ。1人の羊を見つけてもこちらも一人では意味がない。無理に気さくに振る舞う必要はないが、発言量を増やし多くのクラスメイトとインタラクションを取ることを心がける。友達作りとクラスメイトのカースト決定はほぼこの一週間で決まる、慎重に行わなければならない。仲間にする奴も、間違っても裏切らないような奴を選別する必要がある。クラス内のカーストはある程度高いが、正義感はさほど強くなくて、即物的な快楽に弱いか脅迫に使える弱点を持っている奴なら理想だ。仲間といっても心を共にする兄弟ではない、彼らもまた鎖で繋がらなければ反乱の危険性があるのだ。俺自身の要領が良くとも、仲間がへまをすれば責任は俺に問われるからな。
そんなこんなで、一週間が経過した。慣れたもので、作戦は驚くほどスムーズに進行した。いじめに加担しそうな仲間はすぐ揃った。中学時代から思っていたが、どうも俺にはカリスマ性があるらしい。お婆ちゃんが言っていた、不幸な事は望まずともやってくるが、幸運は望まない限りやってこないと。裏を返せば、俺が望みさえすれば、運命は常に俺の味方をするのだ。世界は自分を中心に回っていると考えた方が楽しい。
そして肝心の獲物だが、なかなかいじめ甲斐のありそうな奴を見つけた。その名は「佐々木奈緒」。眼鏡をかけた低身長の女だ。前髪が長くて顔はよく見えず、声は小さく口数は少ない。一週間経っても友達が一人も出来ずに、休み時間には机に突っ伏すか本を読んでいる。体育の時間は男女別なので別の女友達に聞いたが、やはり運動神経も悪く、グループからあぶれているらしい。何より気が弱く、人の頼み事を断れない。まさに典型的なホシだ。学校はどこも30人程度のクラスだと思うが、よくもまあ都合よく毎回一人はいるものだな、こういう「狩られるための奴」が。学校というシステムはひょっとするといじめを肯定しているんじゃないだろうかという気さえして来る。運命が味方しすぎていて怖いぜ。
ちなみに、獲物はどちらかというと男性の方が好ましい。なぜなら女はその遺伝子に「群れる」ことで生き延びることが刻まれているから、通報されるリスクが高いのだ。だがこの女は大丈夫そうだろう。群れる特性という事は裏を返せば、一度形成されたグループ群からあぶれたものは一生あぶれ続けるということだ。それにこの島にはこいつより弱そうな男がいなかった。
さて、獲物に必要な適性は実はもう一つある。「獲物側の汚点」だ。よく「いじめられる側にも原因はある」という言葉が跋扈しているのを聞くが、あれはある種真実だと俺は思っている。要するに、クラスの中で鬱陶しいものがいじめの標的になるのだ。それがクラスという社会における「民意」だから、みんな見てみぬふりをする。むしろ、自分で石を投げないだけで、もっとやってやれと思っている者も少なくないはずだ。言わば我々は手を汚したくない善良な市民の代わりに剣を振るう、正義の執行人だろう。まあ、そこまで言うと傲り過ぎだとは思うが、そういった側面があることは否定できない。性善説など、とんだ綺麗事だぜ。
そんなわけで、俺は獲物の「汚点」を見つける必要があった。どんな小さなものでもいい、「理由」になるならそれでいいのだ。笑い方が気持ち悪いとか、貧乏揺すりが鬱陶しいとか、臭いとか、ただ「不細工」であるという事すら理由になり得る。不快害虫などという概念を生み出した人間様だ、敵を裁く言い訳には事欠かない。
そして見つけた。はじめの一週間ではさすがに気付かなかったが、奴は「化粧」をしている。この前近づいて挨拶した時、わずかだがファンデーションの香りがした。頬を注視してみると、なるほど確かに乗っていた。明確な拘束違反だ。これは迷惑というよりは奴自身の負い目だが、「校則違反をした奴」を庇おうとする奴は少ないだろう。元の素材が良いし、充分な材料だ。
そして翌日、いじめ決行の日。いじめの道早6年、綿密に組まれたプランに隙は無い。あの加虐心を煽る子リスが泣き崩れるさまを見せてもらおう。
はじめはジャブから。いじめの基本中の基本、「上履き隠し」だ。リスクが低い割にやられた方は非常に困るという、きわめてコスパの良い戦術だ。何より、「自分がいじめられている」というのが明確に分かるというのが強い。己一人に嫌がらせをするために誰かが靴を隠したのだという事実が、獲物の心を疲弊させるのだ。
とはいえ、誰かに隠すところを見つかっては元も子もない。真のいじめっ子たるもの、成功のために自らに対しても厳しくあるものだ。俺(+友達一人)は靴隠しのためだけにわざわざ開門時刻ギリギリの朝6時に登校し、誰もいない学校でいの一番に隠してやった。隠し場所だが、ここで男子トイレとかにする奴はセンスがないと言わざるを得ない。「ちょっと遠いゴミ箱」程度がベストだ。発見者が奴自身なら、これ以上の屈辱はないだろう。
ちなみになぜ友達を一人連れてきたのかというと、簡潔にいえば、もしホシが「6時5分」に学校に来た場合、犯人はほとんど俺一人に絞られてしまうからだ。もちろん事前に奴のおおよその投稿時刻そのリズムは確認したが、リスクは分散しなければならない。0.1%の可能性も潰しに行くのがプロの仕事だ。
俺は意気揚々とクラスに入る。そもそも今日は日直なので、早朝登校もさほど違和感が無いようになっているのだ。そして日直の相棒はつい先程俺と一緒に靴を隠した友人だ。日直が出席簿順になるのは分かっていたので、はじめに懐柔してやったのだ。我ながら自分のリスクヘッジの優秀さに身震いする。
そうして2時間経ち、8時40分ごろ、ようやく奴がクラスに入ってきた。いつもより30分近く遅い。俺は思わずほくそ笑んだ。靴隠し唯一のデメリットは、奴の苦しむ顔をこの目で見られないことだな。それにしても、この速度で上履きを見つけて戻ってこられるということは、ある程度いじめ慣れしているのだろうか。だとすれば中々やりがいのある相手だ。ちょうど少しは手応えのある獲物が欲しいと思っていた所だ、もはやジャブは必要ないだろう。次からはフルスロットルでいじめてやる。
そんなことを考えながら、クラスメイトとの繋がりを深めるために近くの席の奴と適当に他愛のない会話をしていると、佐々木がきょろきょろとクラスを見渡していることに気づいた。何をしている?まさか、誰が隠したのかを探っているのだろうか。見た所で分かるはずはないのに。――待てよ、奴は……俺を見つめていないか?まさか。気のせいだ。保身の手は尽くしている、バレるはずがない。最悪でも今日同じく日直だった城野も候補に入っていなければおかしい。俺は安心したくて、思わず奴の方へ顔を向けてしまった。佐々木と、目が合った。
その目は、黒く澄んだ目は、確かに俺を見つめていた。だが、そこに燈っているのは俺がややもと恐れた憎悪の炎ではない。むしろ……慈愛だ。奴が俺を見つめる目は、まるで生き別れの兄弟と出逢ったような、十年ぶりに恋人と再会したような、深い愛情に満ちたものだった。俺はその事実にむしろぞっとして、6年前に傀儡になったはずの自由意志の糸を引きちぎられ、冷たい手で引きずり出されたような、底知れぬ「恐怖」を抱いた。
北風と太陽という童話を知っているだろうか。
北風がどれほど強く風を吹かせて頑としてコートを脱がなかった旅人が、太陽の暖かさによって自らコートを脱ぎ捨てるという話だ。言ってしまえば、「押して駄目なら引いてみろ」という事なのだが、これは案外おとぎ話の世界だけでなく現実にも適応される事が多い。おばあちゃんが言っていた、人の心は柔道と同じだと。力で押さえつけようとするのではなく、その心の向かうベクトルを利用してやるのだ。そうすれば僅かな力で人は驚くほど簡単に変わってゆける。
それは、歴史に名を残すような大犯罪者に対してさえ、言えたことなのかもしれない。
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あの後、狩られるはずの獲物に睨み返された俺は、蛇に睨まれた蛙のように、屈辱にも恐怖を覚えていた。どうやったのかは分からないが、奴が俺に目星をつけた事はもはや疑いようがなかった。あの笑みは、無謀にも自分に牙をかけようとした狼を吊るし上げるのが楽しみでならないという笑みだとすれば頷ける。甘かった。もう少し慎重に標的を選ぶべきだった。新天地で俺もまた、浮かれていたのかも知れない。
しかしわからない。俺が獲物の選別を間違えるなど、あってはならないことだ。ひょっとして奴は俺がいじめっ子だと予め知っていたのか?たとえば中学時代の友達に俺の同級生がいて、木原って奴はいじめっ子だから気をつけろとでも言われていたのかも知れない。それで、実は正義感の強い佐々木は、あえて根暗を演じることで俺をおびき寄せ、確たる証拠を掴んで破滅させるつもりだったとか。ありえない話ではない。しかし、問題はどうやって証拠を掴んだかだ。奴が登校してきたのは間違いなく午前8時以降、俺を目撃できるはずがない。協力者がいたか?いや、それもない。そもそも初めに登校してきたのが俺と城野なのだ。城野がスパイだと言うなら話は別だが、あいつに限ってそれはないだろう。この前も「プリンに醤油をかけて食べたらウニの味がするってことはよぉ、ウニにプリンをかけてすり潰せば醤油が作れんじゃねぇ!?」などと世紀の大発見のような顔をして叫んでいた男だ、スパイなどという小癪なマネができるとは思えない。
どれだけ考えても答えは出ない。当然、午前の授業にはまったく集中出来なかった。成績など対して興味はないが、素行不良だと思われるのはまずい。あくまでも表向きには善良な生徒でなければならないのだ。「日頃の行い」という言葉があるが、これは実は何よりも重要な保身となる。目につく日頃の行いさえ良くしておけば、滅多なことでは疑われずに済む。しかし今の俺はそれに頭が回るほどの余裕がなかった。
昼休み。仲のいい者同士でグループになる、ぼっちにとっては地獄の時間だ。だが俺にはそんな地獄は縁がない。いのいちに大きな島に加わって会話に入っていく。食事中、前の席の中尾という奴が映画の話をしだしたので、適当に食いついておく。こういう時、観てない映画をハッタリで観たふりをするのはご法度だ。もちろん騙しきれるならこれ以上ない接近になるが、嘘だとバレた時の失望は計り知れない。観ていないなら観ていないで、「前々から観たいと思っていた」という体で食いついていけばいい。もっとも、前述した通り知っているに越したことはないので、流行の映画やドラマなど話題の種になりそうなものは予めひととおり観ておくのが真のいじめっ子だ。おばあちゃんが言っていた、千里の道も一歩からだと。
そんなこんなで俺が健気にクラスメイトからの点数稼ぎに励んでいると、佐々木が教室を出ていくのが見えた。出ていく直前、俺の方をちらりと見た気がする。これに俺が全く怯えなかったといえば嘘になる。しかし、俺もバカではない。昼休みまでただ先生にチクられる恐怖に怯えていたわけではない、既に手は幾つも浮かんでいる。まず第一に、俺は奴が校則違反をしているのを知っているという強力なカードがあるのだ。これを見せてやるだけであの程度の女を止めるなど造作も無いだろう。念の為いじめ仲間を2,3人引き連れて、俺は佐々木の背を追うように教室を後にした。
意外にも、佐々木は教室を出た廊下のすぐそばにいた。どうも職員室に行くつもりではなかったらしい。俺の早とちりか?何れにせよ、丁度いい。俺は単刀直入に切りかかった。
「佐々木さん、ちょっと話があるんだけどいいかな?」
「えっ……ぅ、う……ん」
佐々木は肩を少し震わせると、消え入りそうな声で頷いた。おお?怯えているぞ。とても腹に一物抱えた女には見えない。演技をしている線も捨てきれないが、もしかするとすべて俺の勘違いだったのだろうか?そうだ。そもそもそう考えたほうが自然なのだ。6年のキャリアを持つ俺が「いじめられっ子」とそうでないものを取り違えるなどどだいあり得ない。あの笑みはきっと、そうだ、クラス内カーストのある程度高い俺と友達になって学園生活を少しでも色づかせたいという奴のささやかな努力だったのではないだろうか。もういじめなど懲り懲りだと、友達を増やすためにまずは笑顔の練習でもしてみたのではないか。そう考えたほうがしっくりくる。おばあちゃんが言っていた、幽霊の正体は10割枯れ尾花だと。脅しのカードもあるし、いざとなれば相手は女だ、拳で黙らせればいい。俺はすっかり安心し、奴を連れて意気揚々と校舎裏へ向かった。
「佐々木さんってさぁ……もしかして、校則違反してない?」
「っ!」
「俺、佐々木さんが化粧してるところを見たって聞いちゃったんだよね」
この言い方は、実は極めてテクニカルである。まず大前提として、相手が盗聴している可能性を考慮してあまり過激な物言いはしない事。次に、ハッタリのかけ方だが、「化粧しているところを見た」というと、例えば奴が女子トイレでしか化粧をしていなかった場合は嘘であることがバレてしまう。しかし「目撃者がいるのを見た」といえば、その真偽を確かめるのは難しいだろう。もちろん家でしか化粧していない可能性もないわけではないが、この真面目そうな女がわざわざ校則違反をしてまでやているということは何か万に一つでも素肌を見られてはいけない理由があるのだろう。だとすれば学校内でも持ち歩いていると考えるべきだ。
「わ、私……そんなこと、してな……」
「そう?まぁ、俺も実際に見たわけじゃないから……違ってたらごめんね。でも、もし本当なら良くないからやめたほうがいいかな~って」
「………」
「あのさ、一応確かめてみていいかな?」
「……た、確かめる……って」
俺が指で合図をする。と、2人の仲間が下卑た笑みを浮かべながらバケツいっぱいの水を持ってきた。佐々木の肩がびくっと震える。今にも泣き出しそうな顔だ。手を顔の前で握りしめて震えている。意外とあざとい奴だな、こいつも。本当は脅すだけで済まそうとも思っていたが、むかついたので執行することにした。
「や、やめ」
「ごめんね?」
ばっしゃーん!
バケツ2杯分の水が佐々木にぶち撒けられた。もう春先とはいえ、今年はまだまだ寒いのでこの冷水は応えるだろう。少し水を飲んでしまったのか、奴はけほけほと苦しそうに水を吐き出していた。長い前髪が張り付いて貞子のようになっていて少しウケたので笑ってやった。仲間も一緒になって笑った。
案の定、奴は化粧をしていた。なぜそうする必要があったのか疑問だったが、なるほど、右の頬に小さな打撲の跡があった。これを隠したかったのだろう。さして目立つような傷でもないのに、そのために校則違反を犯すとは、やはり馬鹿なやつだ。
「あれぇ、やっぱり化粧してたんだね。佐々木さん、なんで嘘ついたの?」
「あ、あぅ、ぅぅ………っ」
「悪いけど、先生に言わないといけないよね、これ。停学処分かな?」
はったりではない。この高校、進学校でもない割に校則にはやたら厳しく、『茶髪・ピアス・化粧等 上記に準ずる行為は停学処分とする』と明記されている。噂によると、宝島は昔は相当荒れていた学校らしく、新たな校長と教師たちによる必死な努力の末に何十年かかけてようやくある程度まともな高校になったということだ。校則の厳しさはその名残だろう。地域の信頼を落としたくないらしい。俺はこれを知った時、むしろ都合がいいと思った。信頼を落としたくないということは、「いじめが露呈しては困る」ということでもある。やりやすい環境だ。
佐々木はもうすっかり怯えきって、涙を流しながらおろおろしている。拍子抜けだ。こいつはとことん「狩られる側」だったわけだ。多少の失望を懐きながらも、俺の口撃は続く。
「でも、クラスメイトだからね。今後同じことをしないって約束できるなら、黙っておいてあげるよ」
「……ほ、ほんと……ですかぁ」
いつの間にか敬語になっている。思わず吹き出しそうになってしまったが、ここで笑うと脅しとしての力が弱くなるので抑えて続けた。
「うん。……ところでさぁ、佐々木さん、今週のレポートってもう終わった?」
…………
「うひゃははははは!見たかよ、あの顔!なっさけねーの」
「『あ、あぅ、ぅぅ………』だってよwwwwwwwww」
「やwwwwwwwめwwwwwろwwwwwwwwww」
「草生やすな」
「「あ、はい」」
いじめの連れ合いが下衆な声で勝利の勝鬨を上げているのを俺は軽くいなした。全く、こいつらはいじめの美学をまるで分かっていない。勝利の美酒というのは静かに味わうものだ。それにそんな大声で話していて教師に聞かれたりでもしたらどうするつもりなのか。
「しかし木原、三人分のレポート全部やらせるなんてお前も悪い奴だなぁ。おかげで助かったけどよ」
「まぁね。あの数学教師、新入生に対してバカみたいな量出すんだもんなぁ。参っちゃうよ」
結局あの後、校則違反を脅しに俺は仲間三人分のレポートをあいつにやらせることを、あくまでさり気なく取り付けた。しかしこれで終わりではない。俺は、奴にやらせるのとは別に《《自分でも》》レポートを解かなければならないのだ。なぜか?奴が開き直ってレポートを反故にした時、困るのは他ならぬ俺だからである。もちろんその後奴には然るべき天誅が下るが、こんな事で内申が落ちるのはごめんだ。常に失敗ルートの補填も考えておくのがプロのいじめっ子だ。おばあちゃんが言っていた。「他人に厳しくあるなら、それ以上に自分にも厳しくあれ」と。
しかし気持ちよくいじめをキメたおかげで、午後の授業は気分よく受けられた。教師の「この問題とける人ー」には積極的に手を上げ、ときには気さくなジョークを挟み、クラス内でのカーストを引き上げていく。もはや新天地での生活も掌握したも同然だろう。大変気分が良いので、俺は帰りに玄関前の自販機でQooのリンゴ味を買った。この世で一番うまい飲み物だ。勝利の宴にふさわしい。
果汁を飲み下しながら、俺はふと考えた。ひとつだけわからないことが残っていたのだ――奴の傷である。右頬に打撲跡。あれはいつどこでどうやって負ったものなのだろう。打撲といえば転んだ、と考えるのが自然だが、額ならともかく転倒で頬を怪我するのはちょっと珍しい。それにあれはどちらかというと……そう、人の拳で思い切り殴られたような跡だ。もしかすると、先約《先のいじめっ子》がいたのか?それとも家庭内暴力だろうか。どちらにせよ、大して興味はないが。いじめられっ子に同情することはない。同情する行為そのものが、むしろ被害者に対する侮辱であり、いじめに対してのの冒涜なのである。おばあちゃんが言っていた、「『やることやるけどごめんなさい』はこの世で最も下劣な行為だ」と。悪なら悪らしく蜜の味も責任もすべて背負ってこそだ。
そんなことを思いながら下校していると、俺は信じがたい人物と出くわした。誰であろう奴である、佐々木奈緒だ。明らかに俺が来るのを待っていたように立ち塞がっている。これは、俺にとってはちょっと、いや、かなり予想外の展開だった。完全に手篭めにしたはずの獲物が、なぜわざわざ再び狩人の前に現れるのか?俺は警戒しながらも訪ねた。
「こんにちは佐々木さん。俺に何か用?」
「………」
佐々木はあたりを見回して、俺に仲間がいないことを悟ると、「ちょっと来て」というような仕草をして横道の路地裏へと入っていった。俺は怪訝に感じながらもついていくほかなかった。もしかするとコイツが女子ボクシングのチャンピオンで、今からメリケンサックをつけてボコボコにされるのではないかという可能性も捨てきれなかったが、それ以上に再び俺の前に現れた奴の真意が気になった。好奇心は猫をも殺すとはよくいったものだ。それにしてもこいつ、意外と勇気があるものだ。わざわざひと目のつかぬ所に連れ込んで、襲われる恐怖とかはないのだろうか。やはり女子ボクシングのチャンピオンか?
「……それで、どうしたの?こんな所に連れ込んで」
「木原くん……もうやめて欲しいの」
「やめるって、何を?」
「大勢で、僕のことをいじめるのを」
ん?「僕」?こいつ、さっきは自分のことを「私」と呼んでいた気がするのだが……。少し気になったが、ここで怯んではいじめっ子が廃る。俺は気丈に言い返した。
「やめるも何も、そんなことはしていないじゃないか。それに校則違反をしたのは君だろう、恥ずかしいと思わないのか」
「あっ………」
佐々木の肩がまた震えた。やはりそうだ、こいつは怯えている。怯えた鼠が抗おうとしているだけだ。そう確信を抱こうとした直後、何かおかしいこと気づいた。
今の「あっ」は、何かおかしくないだろうか。普通この嘆詞は、何かに気づいた時、驚いた時に挙げられるものだ。しかし俺が言ったことなどコイツは承知しているはずである。それにさっきの声はどこか上ずっているというか、”蠱惑的”ではなかったか。得体のしれぬこいつへの焦りからか、俺は語調を強めた。
「言っておくけど、まだ一日目だよ。この程度でへばるようじゃ今後は地獄だから、覚悟しておくといい」
この発言は、正直失策だろう。盗聴されていたら一発アウトだ。もうここまできたら、盗聴されていないことに賭けるしか無い。佐々木はまたびくっと震えた。そして、何かをこらえるようにして頭を振ると、言い返した。
「……ぅっ……こ、んなことをして……何が、楽しいの」
「この世には、『いじめ』以外に楽しいことが何一つ無いからだよ」
その時、彼女の瞳が大きく見開いた……ような気がした。実際、俺が言ったことは真意である。俺はいじめ以外で快楽を得ることが出来ない。どんなに人気の漫画やゲームも、どんなに美味しい食べ物も、遊園地も、セックスでさえ、俺の心を潤わすことはできなかった。おそらく、自分のという人間の心のバケツの底が抜けているのだろう。水をいくら注いでもすり抜けていくだけなのだ。だが、どういうわけか「いじめ」だけは違った。人を加虐すること、大勢で一人を馬鹿にすること、その色とりどりの苦しむ顔、泣きじゃくる声、そのすべてが俺を楽しませたのだ。人をいじめることこそ、俺の生きる唯一の理由であり、意味である。それを奪わたら、俺はすべての快楽を失ったまま一生を終えることになる。
「………可哀想」
「可哀想?俺に向かって言ったのか?君が人を憐れめるような立場ではないと思うけどね」
「違う……僕たちは、同じなんだ」
「はぁ?」
「木原くん……ぼ、僕は……負けない。木原くんのいじめには、絶対に」
佐々木は、震えながらも、力強い声でそう言った。意外と根性のある奴だ。さっきの声の違和感は既に俺の頭から消えており、久々にいじめがいのある獲物を発見して俺の心は武者震いをしていた。俺のいじめに絶対に屈しないだと?面白い。その言葉が聞きたかった、ずっと。そういう奴の心を折ることこそが、この世で最も楽しいことなのだから。
「面白いじゃないか。じゃあ頑張るといい、でもわかってる?教師に通報したりしたら――」
「だから木原くん。僕を、満足いくまで、いじめていいよ」
「校則違反を……えっ?」
思わず間の抜けた声が出てしまった。今こいつ、なんて言った?満足いくまでいじめてもいい?馬鹿な。そんなことを言ういじめられっ子がこの世のどこにいる。やはりこいつ、明らかにおかしい。得体が知れなさすぎる。
「でも、大勢でいじめるのは、やめて……。いじめるなら、木原くん一人でいじめて」
「嫌だね。いじめっていうのは多対一でしか発生しないんだよ。俺まで一人だったら、それはただの喧嘩じゃないか」
「ぼ、僕、抵抗しない……よ」
「なんだって?……な、なんなんだお前は?何が望みなんだ」
俺は思わず動揺して問い詰めた。佐々木は長いまつ毛を伏せて、とつとつと呟いた。
「木原くんには、もう……こんなこと、やめて欲しい。だから、僕で、最後にして。人をいじめるの」
「僕に、すべて、吐き出して、それで、終わりに……して」
なるほど。ようやく話が飲み込めた。こいつは、底抜けのお人好しだ。俺が場馴れしたいじめっ子だと分かり、他の生徒に迷惑がかからないよう、俺の「いじめっ子」という性質そのものをここで断ち切るつもりなのだ。自らを生贄に捧げることで。とんだ自己犠牲だが、それなら理解できないでもない。少なくとも意図はわかる。得体が知れないよりよほどマシだ。
「なるほどね。いいよ、僕が満足するまでいじめに耐えきったなら……その時は、負けを認めていじめから手を引こう」
「!ほ……ほんと?」
「ああ。耐えきったなら、の話だけどね」
「う、ぅん……!」
佐々木は笑っていた。自分を徹底的にいじめると宣言した奴に向かって笑う奴がいるだろうか。俺は正直、少し……いや、かなり引いていた。お人好しもここまでくるとただの被虐主義者だ。それに、先程の俺の言葉にはなんの担保もない。いじめしか生きがいのない俺がそう簡単にやめられるとは思えない。しかし、不思議とこの女相手なら、そんなゲームに付き合ってやるのも悪くない気がした。
翌日。一夜おいて、やはり盗聴されていた可能性を拭いきれなかった俺は、最後の晩餐ならぬ最後の朝餐を終えて、おそるおそる学校へ向かった。しかし、特に教師からの呼び出しも何も無かったので、どうも本当に抵抗する気はないらしい。いじめっ子歴も長いものだが、こんなタイプの標的は初めてだ。何を言い出すかわからない分、正直そら恐ろしい。今からでもいじめる標的を変更しようかと思ったが、昨日の出来事のせいで相手側も俺を刺し殺せるカードを手に入れてしまったので迂闊に動けない。いわば冷戦だ。双方が相手を一撃で吹き飛ばせる核スイッチを持っているがために、俺と佐々木の二人はもう逃れられない地獄の糸で結ばれた地獄兄弟となってしまったのだった。
自分の2つ後ろの席で本を読んでいる佐々木を観察していて、新たに気づいたことが数点あった。
一つは、こいつはスカートを履かない。常にスラックスを履いている。この学校では、女子生徒はスカートかスラックスかを選べるので、別に校則に違反しているわけではないが、可愛さ重視なのかスラックスを履いている女子生徒などほとんど見かけない。少し寒い春でこれなのだから、本当に誰も選んでいないのだろう。根暗そうな奴なのに、わざわざ目立つようなものを着るのには何か理由がありそうだ。
もう一つ。佐々木は宮沢賢治が好きだ。毎日毎日飽きもせず何の本を読んでいるのかと思ってちらりと覗き込むと、決まって宮沢賢治の作品であった。ブックカバーをしているので傍目からでは分からないが、俺も本は読む方なので上からページを少し覗けば分かった。今日は「グスコーブドリの伝記」だった。なるほど、自己犠牲信者にはお似合いだ。
ちなみに今日の朝は、奴の上履きに画鋲を敷き詰めてやった。敷き詰めるといっても、針を上向きにして並べたわけではない。「刺した状態」で並べてやったのだ。上向きにした画鋲など履く前に一発でわかるし、振って落とせばいいだけだが、刺さっているとなるとわざわざ一本一本抜かなければならない。悪意で刺された画鋲を抜いている奴の気分たるや如何なるものだろう、え?それを人に見られた時どう思われるだろう?俺ほどのいじめっ子になると、そういう攻め方を考えるのだ。しかし佐々木は特に何も言ってこず、いつも通りに過ごしている。この程度では動じないということか。結構なことだ。
とはいえ、一対一のタイマンを仕掛けられた以上、使える手札は大幅に減ってしまった。繰り返すが、いじめとは多勢に無勢だから成立するのだ。俺も男一匹で誰かをいじめた経験はない。これはもはや、いじめを超えた別次元のゲームと言っていいだろう。俺は佐々木の心を折る。佐々木は俺が諦めるか、誰かにバレるまで耐え抜く。知略と忍耐が問われる展開だ。
さて、その日、俺はあの手この手で佐々木を潰しにかかったが、結論から言うと、佐々木は全く動じなかった。
まず一時間目の数学、奴は確かに三人分のレポートをやってきていた。答えもあっているようなので、ひとまず安心。しかし、恩を仇で返すのが俺である。レポートの回収はその仕組み上、後ろの席から前の席に向かって回していくわけだが、席の位置的に奴のレポートも俺の手に渡ることになる。そこで俺は、手品師もびっくりの手際で奴のレポートだけをすっぽ抜き、何食わぬ顔で前に回した。これで奴だけがレポート不提出ということになる。三人分もやってきたのに、哀れなやつだ。ちなみに、一応それぞれで筆跡を変えるように指示してあるので、筆跡で代理がバレることはない。そんなへまは俺に限ってしない。とはいえ高校生ともなれば、レポート不提出でその場で怒られるようなことはなく黙って内申から引かれるだけなので、俺は直接佐々木にお前のレポートは提出されなかったと告げてやった。佐々木は悲しそうに目を伏せるだけだった。やはり多人数がいないとこのタイプのいじめは効果が薄い。あの下卑た笑いも武器になるのだ。
次に体育。オーソドックスな手だが、奴の体操着を予め盗んでおいてやった。これは、正体探しに発展すると面倒なので、俺はどうしたかというと体操着が入ったポーチを第二校舎の入口付近にある「落とし物箱」のところに放っておいた。これなら奴がうっかりで落としただけということになるだろう。奴は今頃赤っ恥を書いているに違いない。男女別なのでその顔は見られないが。
そして昼食時、ここは思い切って攻めてやった。案の定あいつは一人で黙々と食べていたので、わざと机にぶつかって弁当を落としてやったのだ。その場ではしきりに謝るふりをしたり、お詫びとしてある程度人目につく状態でパンを奢ってやったりしたが、誰も居ない所でそのパンは俺が奪ってやった。食事を妨害された奴のダメージは大きいだろう。
昼休み、奴は不用心にも教室を離れていたので、俺は目撃されないよう気をつけながら奴の社会科(5限目)のノートにここでは言い憚れるような強烈な罵詈雑言を殴り書きしてやった。シンプル・イズ・ベストだ。経験上、これが存外効くというのはわかっている。本来なら机に落書きしたかったのだが、朝仕込むならともかくこの場ではリスクが大きすぎる。これが精一杯だろう。
最後に、変化球として、SHR……いわゆる「帰りの会」で、「先生!佐々木さんが皆に言いたいことがあるらしいです!」と言ってやった。当然そんなものは無い佐々木はものの見事にあたふたし、先生によって前に立たされ、何やら吃り続けた挙げ句「私、左利きです!」などと言って爆笑されていた。俺も流石に予想していなかったので普通にウケてしまった。ややもするとこれは奴がクラスで脚光を浴びるきっかけにもなりかねなかったが、「幸運は掴む意思がないものにはやってこない」ので、俺は特に心配していなかった。案の定、その後奴に話しかける者も数名いたが、佐々木は曖昧に根暗な返答を返すだけなので、皆明らかに失望の色を浮かべまたすぐ興味を失ってしまった。これはむしろ話しかけられないより応えるだろう。
しかし、それらすべてのイベントを終えて尚、奴は特に疲弊した様子を見せなかった。普段から表情が読み取りづらい奴なのでなんとも言えないが、少なくとも俺の目には目に見えたダメージは無かった。俺も一日でへばるとは思っていなかったが、にしても通りが悪い。更に悪いことに、こんな調子のいじめを二週間ほど続けても奴は一切音を上げなかった。業を煮やした俺は、ついに実力行使に出ることにした。敗北のように見えるかも知れないが、暴力も立派ないじめの一部だ。むしろいじめの王様と言えるだろう。放課後、俺は奴を校舎裏へと呼び出した。佐々木は黙って頷いた。
「正直、恐れ入ったよ。君、本当に俺にいじめをやめさせるつもり?」
「………ほ、ほんと……だよ」
「そう……俺さぁ、そういうの大嫌いなんだよ。偽善者って言葉は多分、君みたいな奴のためにあるんだろうね」
「うぅっ………」
「言っとくけど、俺はまだまだ満足してないからね。この一年はおろか、卒業するその日まで君をいじめ続けることになるよ?いいの?」
「…………ぃ、ぃ……ょ……」
「ふぅん」
そう言うと、俺は佐々木の肩を掴んで固定すると、腹に膝蹴りをかましてやった。佐々木が目を見開いて、かはっと息をこぼす。佐々木の身体が痙攣している。息ができないらしい。いい気味だ。俺はそのまま顔にも一発入れてやり、ジャリジャリの地面に叩きつけられるようにして倒れる佐々木をさらに上から一発踏みつけると、ダメ押しとばかりに唾を吐きかけた。鼻の上にあたった。
「じゃあせいぜい頑張るんだね」
そう言うと、俺は足早に去っていった。奴は殴られてもけたたましい悲鳴をあげないのが有り難い。俺にシバかれた佐々木はというと、子鹿のように震えた足でなんとか立ち上がると、ホコリを払い、眼鏡を拾って、近場にあった女子トイレに駆け込んでいった。顔を洗うつもりだろう。少しだけその場に留まっていると、小さなすすり泣きのような声が聞こえた。どうやら、やっと少しは効いたらしい。いい気分だ。自分の行いによって人が泣くほど気分の良い事はない。
暴力が有効であることが分かった俺は、その後も一目を忍んで奴に攻撃を加えていった。あまり目立つ場所に痕が残るとまずいので、目立ちにくい胴体や足回りを中心に狙った。奴はとことん無抵抗で、防御姿勢すら取らない。受け身のとり方も知らないらしく、倒された後は無様にそのまま転がるのでこっちが痛々しかった。奴の身体は柔らかく、拳を入れるたびにマシュマロを殴っているような気がしてなんだか不思議な気持ちになった。奇怪なのが、一度、誤って胸を触る―もとい、殴ってしまったことがあり、俺は思わず「あ、ごめん」と呟いてしまった。いじめっ子としては致命的な失策であるが、俺は人を加虐するのが好きなだけでセクハラ犯になりたいわけではないので、そのあたりの良心はいみじくも残っていた。すると、佐々木は殴られた痛みで呻きながらも「いいよ」と返したのである。おそらく、人に謝られた時の反射返答のようなものだとは思うが、人に殴られて「いいよ」と返す奴がいるだろうか?俺に対して少しでも憎しみを抱いていれば、間違ってもそんな言葉は口をついて出てこないはずだ。そう考えると、俺のいじめが全く通用していない気がして怖かった。佐々木の身体はこんなにも柔らかいのに、その心に対しては、まるで鉄を殴っているかのように効果を感じられなかった。手応えがあったのは、はじめて殴ったあの日のすすり泣きだけだ。やがて俺は、佐々木奈緒という人格を意識し始めていた。
そんな日々がしばらく続き、ついに俺は音を上げた。いじめっ子として音を上げたのではない。「ソロ」であることがアンフェアすぎるのだ。もともと多勢で一人をいじめる行為のどこに公正さがあるのかという声もあろうが、その状態こそが不正の中の公正であり、俺は今いじめっ子としてはハンデを背負っている状態なのだ。おばあちゃんが言っていた、「どんな天才でも、一人でやれることには限度がある」と。どうしても多勢で奴を殴りたい。しかし、いじめっ子がいじめられっ子にそんな「相談」を持ちかけるなど前代未聞だ。何より俺のプライドが許さない。俺はなにか、この状況を打開できるような悪魔的策略をひらめく必要があった。そのためには、佐々木奈緒という人物に対しての情報があまりにも不足しすぎていた。そして俺は決めた、まずは佐々木という人物についてもっと深く知ろう、と。人を深く知ることで、その人が何によって傷つくのかが分かっていくのだ。郷に入っては郷に従えという。この新たないじめ環境において、俺もまた”適応”を求められていた。
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