シッピツクンフー
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あのー、昨日ノクターンノベルズで小説見てたらー、2,289,738文字の小説を563日で書き上げてる人がいたんですね。これって休みなしで毎日4067文字書かないとたどり着けない数値なんですけど、すごくないですか?であのー、ちょっと計算してみたんですけど、毎日このペースで続いたとしたら、この人15年目でマイロードを超えるんですねー。マイロードの一作目が日本語換算でだいたい22,717,500文字なんで。で、マイロードが一作目を書き終えたのは20年くらいなんですよね。一方で俺は時間は湯水のようにある癖にまったくなんにも進んでないし何もできてない何も生み出さない何も成せない状態なんですよねー。
あかんわ。ちょっと無理にでも気合入れよう。何でも良いから毎日なんか書こう。というわけで今から4067文字のRTAをしていきたいと思います。
「わたしもうやめた 世界征服やめた」
会社に向かう電車の中、イヤホンからそんな歌い出しの曲が流れてきた。相対性理論の「バーモント・キッス」だ。
俺は思わず顔を歪めてしまった。聞くに堪えない。曲の出来が悪いのではない。言葉が痛烈すぎるのだ。
大きな主語を使うのなら、人間というのは誰しもが子供の頃、一度は世界征服を夢見たのではないだろうか。
すべての国、すべての人間、すべての動物、すべての植物、時間や空間さえもその手に収めて支配する。
積み木遊びや砂のお城の延長線上にあるような楽園。「自分のもの」という感覚は気持ちいいものだから。
それ故に、頑張って作った砂のお城が海にあっさり攫われたり、人に踏まれて壊されたりしたときの哀しみと怒りは計り知れない。
きっと人はあの瞬間に、はじめて「世界は自分のものではない」ということに気づくのだろう。自分たちが社会という強大で冷酷な機関を動かす部品の一つに過ぎないということに。
それでも、子供の頃はまだ野心があった。なんとかして世界を変えてやろうと、主人公になってやろうと躍起になれるだけの元気と環境があった。世界の色は剥げてきてはいるが、まだ本当の姿は表していない。自分の存在意義や恋や病熱に悩むいじらしい思春期という時期は、己を「主人公」の座から引き下ろそうとする世界との全面戦争そのものだった。
中には、ごくわずかだがこの戦争に勝利した人間もいるのだろう。テレビに映っているようなキラキラしている人たちは、きっとそういう人たち。殺すべきものを殺し、世界の首を獲った勝者。しかし、ほとんどの人間はあの戦争には負ける。そして、個人差はあるが、そう遠からずうちに武器を捨て白旗を上げる。世界征服を、あきらめるのだ。
「今日のごはん 考えるので精一杯」
やくしまるえつこの囁くような苛辣な歌詞は続く。子供の頃はごはんを「考える」なんてこと、考えたこともなかった。母親が当たり前のように作ってくれて、当たり前のように毎日ありつける。メニューが気に食わなければ文句を言うこともあっただろう。それが贅沢だなんて、子供の頃の俺は想像だにしなかった。すべての幸福は失われてはじめて目に映る。
「もうやめた 無駄な抵抗やめた」
電車は揺られ続ける。目の前に座っているサラリーマンが、次の駅のアナウンスを聞いて立ち上がった。俺が座ろうとする間もなく、その横にいた若い女がそこに腰を下ろした。気を落とすだけの気力もない。もう慣れてしまった。希望を抱くだけ無駄だ。はじめから何も期待しなければ、傷つくこともない。
外の景色を楽しもうにも、窓にはブラインドが下ろされてる。それは実に当然のことで、朝方なため日差しが眩しく、誰かが下ろしたのだろう。したがって、俺に出来ることは左手で吊り革を握りながら右手で小さな箱の小さな画面を無為に眺め続けることだけだった。そして周りを見渡すまでもなく、ほとんどの人間はそうしている。つくづく幽閉されている。
「もうだめだ その日暮らしは嫌だ」
その日暮らしが嫌だから、俺も頑張って良い高校に入って、良い大学に入って、そこそこ有名な企業に入った。
それが正解だったかどうかなんて、俺に分かるはずがない。別の道を選んだ「俺」を、俺が認識することはできないのだから。
それでも、どこかで別の道を選んでいれば、俺はこんな心持ちで、息苦しい牢獄に小一時間も揺られて、大嫌いな人間が集まるビルに向かうこともなかったのかと思うと、身を裂くような悔いに駆られそうになる。
別の道を選ぶことで、出逢えたはずの誰か。交わしたはずの会話。抱いたはずの感情。俺はそのすべてを気づかぬ間に喪っているのだ。そして、これからも喪い続ける。生きている限り、俺は毎秒何かしらの選択を迫られ、そのたびに何かを喪っていく。
そんな事を考えると、段々と虚しさより怒りに駆られてきた。誰に対しての怒りなのかは、もうわからない。
「もうやめた 世界征服やめた」
やめなくたって、いいじゃないか。世界征服をしたって、いいじゃないか。
今からでも、間に合うのではないか。どこからともなく、そんな気に駆られてしまう。
例えばもし、この場に偶然火炎放射器が転がっていたり、ボタンひとつで地球を死の星に変えてしまえるような化学兵器があれば、俺はそれを手に取らないと断言できるだろうか。もちろんそんなものはここにはないが、逆に「無い」から救われているのではないか。
俺が借りているマンションの部屋は一階にある。だから俺は夜中どんなに衝動に駆られても、飛び降りる事はできない。だからこの部屋を選んだのだが。しかしけっきょく、すべては「手近でない」から回避されているだけなのではないか。
今すぐにでも、気持ち一つで人を殺せたり、世界を壊せたりする道具があるのなら、それを手にとってしまう人は少なくない気がする。この圧搾された社会で生きるというのは、それほどまでに痛苦に満ちている。
そう、結局俺は、俺たちは、いつまでも子供のままだ。砂のお城を完膚なきまでに壊された事に対する仇討ちを、虎視眈々と待っている。隕石がすべての命を焼く日を、奇跡を待つように願っている。
突然、車内が大きく揺れた。吊り革に捕まっていたので転びはしなかったが、人波に揉まれてバランスを崩しそうになる。少々のざわつきの後、あの安っぽい音質のスピーカーから老齢の男性のアナウンスが流れた。
「えー、ただ今この列車はお客様と接触したためしばらく運転見合わせにいたします」
お客様と接触。はじめて聞く日本語だ。後で知った話だが、JR日本鉄道は「人身事故」という自殺を思い起こさせる言葉を避けるためにこの言い回しを使っているらしい。意味があるとは思わないが。言葉遊びにもならない。事態は明白だ、誰かが飛び込んだのだ。
先ほどまで少し不安げにざわついていた周囲の気配が、徐々に険悪なものとなっていく。誰も言葉にこそ出さないが、途方もない殺意が渦巻いているのを感じる。名も顔も知らぬ誰かのために、仕事に遅れさせられる苛立ちの現れだろう。舌打ちをする者もいた。
気分が悪い。どいつもこいつも、人がひとり死んだというのに、自分のことしか考えていない。俺が言えた義理ではないのかも知れないが、少なくとも俺は人身事故そのものに怒りを覚えてはいなかった。むしろ俺が心底気分を害すのは、この空気だ。
さっき舌打ちをした人間は、死ぬなら周りに迷惑をかけず死ね、とでも思っているのだろう。でも俺はそうは思わない。死ぬ時くらい、わがままを言ってもいいじゃないか。最後くらい、迷惑をかけてもいいじゃないか。きっと今飛び込んだ人は、今まで背負っても背負いきれないくらいの大迷惑をかけられ続けて生きてきたのだから。自分から死を選ぶほどに追い詰められるなんて、並大抵の状況じゃない。どんな思いで、どんな気持ちで、今まで痛みに耐えてきたのだろう。そしてついに最後の糸が切れた時、目の前に手軽に死ねるスイッチが、「とびこむ」という選択肢が現れてしまった不運。あるいは、恩寵。痛みから解放されたいという願いを、いったい誰が糾弾できるのか。自分をここまで追い込んだ世界に少しでも復讐してやりたいという思いを、誰がどんな大義で無下に出来るのか。
復讐?――ああ、そうか。これが、彼の選んだ「世界征服」か。
そういう実現の仕方もあるのだな、と、俺は遅刻が決定した時刻を指す腕時計を眺めながら漠然と思った。
次に思うのは、明日は我が身かという不安、あるいは期待。俺だって、毎日揺れる気分の針が最下層にある時に、偶然駅のホームで特急電車を待っていたりしたら、そのコマンドが「見えてしまう」かもしれない。そうなれば、俺はそれを選ぶことを躊躇しないだろう。俺が今生きているのは、針が良くない方へ触れた時に自宅にいたとか、電車内にいたとかで、〝それ〟を実行するコマンドが存在していなかったからだ。おそらく今電車の下で肉塊になっている人も、後一日やり過ごせていられたら生きていられただろう。彼はただ運が悪かったのだ。
しかし、考えてみると、本当に運が悪いのは誰だろうか。それはもしかすると、俺ではないのか。酒で流せば、一日寝れば、悪い考えは洗い流せる。深夜の希死念慮を朝の光でかき消せる。しかし、そうやって誤魔化してはまた希死念慮を抱き、また睡眠と朝の光に誤魔化してもらうなんて生活を何十回も繰り返すことが幸運なのか。あの夜の苦しみは、なくなったわけではない。眠りにつかされているだけだ。俺の心の奥深くで、まだ静かに胎動している。早く出せと慟哭を上げては、酒や娯楽で鎮められ、しばらくするとまた叫び声をあげる。夜泣きする赤子のように。こいつとの付き合い方が分からない。俺は一生、こいつを飼い慣らして生きていくのか。俺の味方は、どっちなんだ。布団のぬくもりや酒や好きなアニメか? それとも情熱快楽の解放を待ち望むこの心臓か? 分からない。何も分からないが、ただ一つ言えることは、今この瞬間の俺には、死ぬ勇気も手段もないということだ。そして名も知らぬ男あるいは女のために、今から数十分後には上司に必死で頭を下げなければならないということだ。しかし、それでも俺は言ってやりたい。それくらいの十字架は、甘んじて背負ってやる。今こそ俺は、名も知らぬあなたに届くはずのない声を送る。誰がなんと言おうと、どれだけ自分勝手だと否定しようと、俺だけはあなたの味方だ。あなたの分まで生きるなんて大それたことは言えないが、あなたが味わった苦痛や憎しみに価いしたい。あなたが憎んだこの世界を、俺も憎もう。それが本当にあなたが望むことなのかは、今となっては俺にはわからない。どうしようもない偽善なのかもしれない。それでも、これだけがきっと、他でもない俺自身が前に進んでいくための、捻くれた処世術なのだ。
俺は諦めない。探してやる、俺だけの世界征服を。
記録:1時間16分
内容はカスだけど文体はいい感じに痛々しくて良い これくらい厨二病じゃないとダメだ 2017年の俺はこんな感じだったはず
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