アクイ
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「キモいものは、キモい!差別したいものはしたい!!」がなぜインターネットでウケたかといえば、あまりにも忌憚なくドストレートに臓物を曝け出したからで、それは誰もがやりたかったけど批判や「社会」が怖くてできなかったことだからというのと、ここまで開き直られると攻撃の仕様がないから。論理の穴は整合性の中にヒビがあるから生まれるわけで、そもそもブッ壊れた大理石持ってこられたら如何なる批判家もどうしようもないという好例。どこまでも過激だが一切の屈託がないステートメントは、むしろ人々に「すがすがしさ」すら与え、変に理論武装して屁理屈を捏ねたお気持ち表明よりもかえって心証がよくなる傾向にあるようだ。予防線の時代は終わったのかも知れない。目的からしてもノーガード戦法が最強かも。こんなにも倫理のカケラもない人種差別発言なのに、誰もの心を揺さぶるというか、「なにかを考えさせる」パワーを秘めている。建前の文化もいい加減鬱陶しいし、全員がこんな感じでいいかも。そういう思想のを心に秘めているならね。「キモいものは、キモい!差別したいものはしたい!!」が本音なのに「私は人種差別主義者ではないが、黒人の平均知能指数は白人のそれを明らかに下回るものという科学的結果が出ており……」とか言い出すよりは、底にあるものをお互いにはじめから完全に曝け出したほうが人間はうまくいく気がする。
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