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春よ、遠き春 pic.twitter.com/2NPUNrzUAz
— 川畑 (@kwbter) January 7, 2026
なんでこんな面白いんだろう。理由をまったく説明出来ないけど今年一番おもしろいと思う。
ほぼエアプでグッズに金落としまくってるファンと、違法視聴ですべてのコンテンツを履修したファンだとどう考えても後者のほうが愛がデカいと思うんだけど、推し活さんは前者の方が愛が大きく感じるらしい
完全に資本主義に脳がファックされてると思う
爆美女 (@mj4mn) - 2026/01/12 11:24
https://x.com/mj4mn/status/2010538318984016301
異論はない(パリーン)
コメント欄にマーゴの反物質がワラワラいます。愛って客観定義できるものではあまりないけど、その中でも唯一指標になりそうな変数が「知識」だと思うのね。それ以外は部外に扱いづらすぎる。だから知識が多いヤツが愛が大きいと言って相違ないと思う。カルトクイズとかまさにそのロジックでしょ。
違法なら愛ではないなんて事もないしな……。愛ってモラリティとは関係ないから。そんなこと心の底では皆分かってるはずなんですけどね。
「ハム太郎アンチスレ」のコピペなんかは分かりやすい例ですよね。
10 : 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] : 2010/08/26(木) 08:26:06 ID:cKtzrxLE
【人気アニメだったのに落魄れた原因】
・他の人気キャラを差し置いてこうしくん、ちび丸ちゃんなどの不人気キャラを誰得プッシュ。
・原因不明のトラハム兄妹の『運動が得意』な設定の消滅と、かぶるくんのかくれんぼが得意な設定の消滅。
・141話でくるりんちゃんがハム太郎に恋してすぐに失恋したのに、他のライター個人がまた勝手に恋させた。
・136話、189話、226話で張り巡らせたトラハムくんとナースちゃんの恋の行方を完全放置。
・190話、235話で張り巡らせたタイショーくんとおしゃれちゃんの恋の行方を完全放置。
・197話でラピスちゃんのハム太郎好きが勘違いであることが発覚したにも関わらず、
その後もラピスちゃんをリボンちゃんのライバル関係として立ち回らせたままにした。
・270話でリボンちゃんがハム太郎に振り向いてもらおうと努力する話をまるまる1話使って入れたのに結局無意味のまま。
そればかりかリボンちゃんの恋は最後まで進展せずは最後まで完全に噛ませ犬。
・289話で糞脚本家菅良幸によって唐突に加えられたおしゃれちゃんがハム太郎が好きな設定。
・人間パートの恋愛描写においてキムラくんが「優等生でスポーツ万能」と言うビッチしか好まない設定に
してしまったことで明らかに人気獲得に失敗しているのに、最後までなぜかキムラくんを必死にプッシュ。
・何度となくロベルト補正を入れたが、結局無意味。これによりロベルトは単なる視聴者を釣るためだけのテコ入れだったことが発覚。
キムラくんのより圧倒的人気のロベルトは結局無きキャラに。
・究極の糞ED「最近ハヤリのメイク歌」を1年間垂れ流し、さらにその後のED曲も
キャラソンの二番煎じであるやっつけED曲「ハムハムトレイン」。
・OVAと劇場版の4作目が揃いも揃って駄作であり、はむはむぱらだいちゅ黒歴史化にますます拍車。
・はむぱら編の失敗により239話で命乞いしたばかりのすいーちゅぱらだいすを244話で破壊。
・こうし×じゃじゃハムの別居結婚と言う意味不明な最終回。
ややこしい伏線を作ったことにより30分枠での再アニメ化が完全不可能になる。
・商業の迷惑戦犯とも呼べる末期のエポック社の玩具「ハムハムぴたりんちゅ!」。
・島田満脚本家が自身のファンサイトの掲示板にて、放送終了2ヶ月前と言うありえない時期に打ち切り告知。
ハムハーの木のあまりの大失敗による突然の打ち切りだった模様。
・30分番組終了後も「とっとこハム太郎は~い!」と言う内容が限りなくゼロに近い低クオリティ番組で生き恥晒し。
・スポンサーはハム太郎の存在そのものを黒歴史にしたいらしく、ホームページも全ての商品紹介が消滅。
こんなもん愛なしに書ける訳が無い。世界はこれを愛と呼ぶはず。
「資本主義に脳がファックされてると思う」は言い得て妙だと思う。資本主義者って、こう、引いた視点で見て辿るということができない。英語だとpanoramic vision(horizon gazing)と言うんだけど、この能力が決定的に欠如している気がする。
「わたし」も「あなた」もいない世界のことを空想できないのか。つまり……藍と鈴木さんが会話していて、鈴木さんが何か持論を展開した時、藍も鈴木さんも一旦消してその論の是非を考えるということ。前提を廃する能力というのか……。そういうのがないとそれこそミステリADVなんてクリアできなくないか。まのさば実況を見ててもタイムアップギリギリまでミスりまくってる人も結構いるし、意外と普通は無いのかも知れない。サリーアン課題の延長がどこまで解けるか、というのをテストとして体型化して欲しい。サリーアンはちょっと簡単すぎるから。……まあ悪用される未来しか見えませんが。
……なんか話が逸れたが、愛とはなんぞや?となると、少なくとも客観観測で論じられる範囲においては「知識」と「身を切る力」だと思ってて、お金を消費するというのは「身を切る行為」の一種ではあるのだけど、元ツイの比喩だとほとんどの人において「すべてのコンテンツを履修」する時間コストの方が圧倒的に高いと思うので、総合して前者のが愛が強いと言えるということです。例えば時給2000円の人が2クールあるアニメの1期と2期を視聴する「時間コスト」を支払ったら、お金にして4万弱の価値になりますよね。そのうえで「知識」という文化資本を回収しているし、ヒトにとって基本的に時間のほうが金より価値が重いので実際はもっと膨らむ。なのでどのレギュレーションで戦ってもやはりそういう結論になると思う。エアプが金落としてるだけなのは「作り手にとって役に立つ消費者」であって、「愛のあるファン」ではない。

いちおうGeminiとレスバしてみたけど弱すぎて瞬殺でした。……最低限食らいついてはくれるからAIと議論することが無意味だとは思わないけど、エコーチェンバーを加速させるだけかもしれない……。だって君、弱いもん(五条)
絶望という言葉にはちょっとポップな響きがあるじゃないですか。そうではなく、心のブレーカーがパチンと落ちた感じなんですよ。無になった。
この数年、世の中の嫌なことや次々と襲いかかってくる悪意に対して、うわ、最悪だと思いながら、自分なりになんとか切り返せるんじゃないか、何かポジティブな方向に変換できるんじゃないかって一生懸命やってきたけど、パチンって。「あ、もういいや」と。世間に対して心が醒める感覚がありました。絶望というよりもあきれたという感じで。
いまは自分の音楽に希望や前向きなメッセージを込めようとか、そういう気持ちがまったくないんです。自分の中から湧き出る音楽があって、僕は世の中をこう見ているという詩があって、それをただ残したみたいな楽曲たちなんです。
https://brutus.jp/post-430694/
「以前は、自分の音楽を世の中の真ん中に持っていこうという意識もありました。ポップスだと思ってもらうように錯覚させる。『星野源ってポップな人だよね』って言わせたら面白い。端的に全然ポップスではないから。そうすることで音楽の作りづらさが変わるんじゃないかというアプローチをしていました。それをやりきったのが『POP VIRUS』とドーム公演だった。でも何も変わりませんでした」
その経験を経て、どんな思いが芽生えたのか。「結論としては『どうでもいい』というのが一番大きいです。世の中の全てが、心の底からどうでもいい」と星野は言う。
「こういう風にしたら聴いてもらえるだろうとか、こういうものが流行っているとか、こういうジャンルの曲を作ろうとか、そういう気持ちで作った曲はないんです。それって、判断基準が自分の外側にあるじゃないですか。でも僕は自分の外側はどうでもいい。 “Gen-ness”は自分の中にある。そこには僕が出会った“音楽の理解者”たちもいる。だから、いろんなアーティストとコラボレーションをしたアルバムだけど、自分の外側の知らないところに行ったという感覚があんまりないんです。むしろ孤独の要素が強い。それがすごく面白いし、それでいいんだなって思えてますね」
https://www.gqjapan.jp/article/20250522-gen-hoshino-hype
アツゥイ!
「自分だけ見えるものと大勢で見る世界」の中間を行くことをついに辞めたわけですね。いつかそうなると思っていたよ。
俊ちゃん然り、虚無主義のアーティストというのは本当に熱い。(なぜなら普通は虚無主義に傾倒するといっさいの創作活動を辞めてしまうので)
”適応”に成功したってことなんですよね。虚無主義に呑まれるのではなく飼い慣らしたということ。いや、ちょっと違うかな……confiscationとdevotionとでも言い換えようか。虚無主義に”勝てる”人間は誰もいないから。ローマの手紙でいう義人くらいいない。
虚無主義に屈している状態って、むしろ虚無主義に抗っている状態なのではないだろうか。抵抗をやめて完全に負けを受け容れた人間こそが虚無主義と対話する事ができる。
星野源も谷川俊太郎も、諦めたのです。諦めたことによって道が開けた。
諦めてんじゃねえよ!!!!!
君は、君のメッセージに気づかされ、君にメッセージを送るリスナーたちを信用していたからあんなに良い曲を書けていたんじゃないのか!
https://note.com/ameiamei377/n/nd13f42ff9207
残念で仕方ない。星野源の思索は、失敗に終わったと言うしかない。
なぜ上から目線なのかと思う人もいるかもしれない。それは星野が諦め、僕はまだ諦めていないからだ。
頼むから、星野。「喜劇」で見せた「こんなことがあったって 君と話したかったんだ」という前向きな諦めが君の最後であらないでくれ。
https://note.com/ameiamei377/n/nd13f42ff9207
私が近年冷笑している熱量とはこういうものです。
彼らは若く、虚無主義に抗い続けている。いずれ必ず負けることを知らずに。ばかにするつもりはないが、蛹か幼虫を見ている感覚というのはどうやっても拭えない。
『地獄でなぜ悪い』や『SUN』『恋』の時期の歌詞は、中途の星野源を語るうえでは有効かもしれないが、今の星野源と結びつけて今の彼を語る根拠とすることは最早出来ないだろうと思う。それは辻褄合わせの欺瞞だから。前期・中期・後期の星野源はほとんど矛盾しているといっていいほど変化している。星野自身もそこに一貫性を求めていない。ただひたすらにうんざりしているのだ。星野源レビューを見ると、本人が無意味だ絶望だ無だと言っているにも関わらず、部外者はそこに希望というテーマを見出そうとする。ダンガンロンパV3を見ているような気分です。
ソーシャルメディア・プリズムを読了していない人のインターネット考察って論ずるに値しないと思う。多数派はミュートされているという自覚がないと、目に入る言論の総数だけ見て「こんなにも大勢の人が私に共感している! これは世論に違いない!」みたいな勘違いをする。客観世界においてはセルフはすべてにおいて間違っていると考えたほうがいい。主観世界においてすべて正しいという自信と、客観世界においてすべて間違っているという謙虚さを併せ持つ♠ことさえできればいいんですよ。誰も彼も。
毎年のように誕生日絵を送っていた相手がいるのだけど、今年でやめてしまった。一度も返礼がなかったこともあるかも知れないが、まあそれは藤井風文脈だと愛ではないので割とどうでもいいのだけど、もっと根本的にもう伝えたい事が無くなってしまった。言葉も愛も。絵を描いてまで伝えたいことがない。彼に限らず全般そうだ。ゲームを肴にしてまで通話したいことがない。どうでもいい(虎杖)
ニーチェは神は死んだなどと言いながら誰よりも神性に固執し人を超えようとし果てに発狂した敗北者です。積極的虚無主義は欺瞞です。べつだんそれは彼が言うところの消極的虚無主義の肯定を意味しません――彼が強いた二項対立自体が誤った二分法だからです。時代は無指向性虚無主義。一切は許されている――そこまではツァラトゥストラは正しい。問題はそのisから導き出されたoughtだけです。なぜなら一切が許されているなら、そこから「意味のない世界から逃げることをせず、ありのままに世界を肯定するべき」というようなoughtが発生すること自体が矛盾だからです。無指向性の虚無主義は一切を許すため、すべてに回答がある。つまり、意味のない世界から逃げる者を肯定し、ありのままに世界を肯定する者を肯定する。
諦めることもいいだろう
諦められないこともいいだろう
自分なくしてみるのも 人を失うことも
ブランコ, 星野源
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