25-10-23_091855
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ユカリ戦、トビーフォックスじゃなくてトビーフォックスのアレンジャーが書いてるらしい。何を言ってるかわからねーと思うがそういうことらしいです。まあ納得だな。あんな瀟洒なサウンド書けるわけないもん。
界隈の息が僅かでもかかった曲にアレルギー反応を起こす病気を背負っているのですが、うらみ交信は正直メチャクチャ良いと思う。悔しいけど。ていうか界隈にカウントするのかあれ。まぁ間違いなくリスペクトはしてるからカウントしていいか。
あなたの一言で生きれる人もいて
あなたの一言で消えてく人もいる
倉橋ヨエコ 梅雨色小唄
きついっす。その通りなのだろう。悪くないんだよ、悪くないんだよって言って……。
謎に高まるDRITHモチベ。しかしデザインセンスの致命的な低下を感じていて苦しい。デスパズル1の連中はよかった……。なんだ今の連中は。オモコロチャンネルくらい服の色が地味で暗い。ハァ……。アラサーの大人にデザインは無理。偏見のコレクションが想像力を抑圧する。
VTuberの「禁止事項」みたいな長々とした概要欄、意味あるのかと常々思う。最低限度のマナーを守れる人間はそもそも読まなくても破らないし、最低限度のマナーを守れない人間はそもそも長々とした概要欄を読まない。関係のない人に近寄りがたい印象を与えて終わりでは? 古株ほど概要欄やチャンネル説明欄に一切何も書いてないケースがあったりして、結局それが最適解なのではないかと結構思う。
そうなると他にそんなもの(禁止事項)を書く理由はひとつしかなく、そのひとつの理由がかなり心証が悪いのでうっすらVtuberごと嫌いになることが多い。Disclaimerすぎるだろ。テメェを守りてぇだけかい!!!
カリンが鍵をかけていた。おらっ出てこい>>1!プロフィール文無言になってるし病み垢みたいや。
三ヶ月が過ぎた頃 異変に気づく
まったく寂しくない
「誰かが、頭からつま先まであたしのモノになってくれなきゃ、あたしは死んじゃう方がいい」とか言ってたのが嘘みたいです。ただ、いっそそうであり続けた方が良かったような気もしています。今となっては。根本的に熱がなくなってしまった。
誰と話さなくても良い。誰に認められなくても良い。誰に好かれても嫌われても心底どうでもいい。そういう状態になってしまった。だから当然何かを創ったり世界に貢献する気が起きない。
藤井風が「満ち足りていることと情熱的であり続けることを両立させるのはtrickyだ」みたいなことを言っていたらしいけど、trickyというかimpossibleではないかと思う。どちらかを偽らないと無理でしょう。満ち足りている人間が情熱的であり続ける動機がない。
「得ればもっと欲しくなる 願えばもっと苦しくなる」とポーター・ロビンソンは歌いました。wantの意志が残る限りは満ち足り得ないが、情熱はwantを駆動力として必須とするので破綻するのですこの論理演算は。
まぁそのことは風自身が一番良くわかっているとは思うが。I Need U Backなんて歌を苦しみながら産んでやっと再び情熱的になれたのだからね。結局溺水と息継ぎの繰り返しです、人生は。真実は「永遠に満ち足りることなどあり得ない」というところにあり、満ち足りながら情熱的であるというのはその切り替わりの残像を取り違えたミラージュなのだ。
風のアレコレにいまいち納得できなかったのは、彼が「情熱的でなければならない」という強迫観念に苦しんでいて、自然発生的に情熱を取り戻したのではなく必死にもがいてまで掴もうとしていたこと。彼は皮肉にも満ち足りていることに苦しんでいたのです。それは「“grace”で言いたいことをすべて歌いきってしまって、私は燃え尽きていた。何も言うことはなかったし、音楽のキャリアはいつ終わってもおかしくなかった」というインタビューの言葉からもわかる。つまり満ちた状態を永遠に続くものと思って焦ったわけですね。風邪にかかって必死に解熱剤をかっこんだようなもので、宇多田ヒカルのように6年くらい人間活動して取り戻す道のほうが健全だと思う。終わって何故悪いという話である。満ち足りたならそのまま終わったって良いのに、何かが風の中でそれを拒絶した。
いつか僕の心が完全に
満たされたとしたなら
その瞬間に僕は引き金を引きたい
米津玄師, UNDERCOVER
倉橋ヨエコといい、古川本舗といい、どうしたって引けないものなんですかね。まぁ引かなくて正解とも思うが。どうせすぐまた溺水するので。とかく何事も決定的にしない方がいいし断定的にしない方がいい、自分事であっても。どうせ自分は変わるので。
――最後に、今すごく苦しくて、死んでしまいたいと思っている子どもたちに、先生から何か伝えるとしたら、どんな言葉になりますか。
養老:どうせ自分は変わるよ、ということです。
変わる。変わるに決まっているんですよ。今の状況が永久に続くってことはあり得ないので。今の状況が続かないと考えるときに、つい「周りが変わる」と思っちゃうんだけど、そうじゃないんです。「感じている自分」が、変わるんです。――「今、死にたいと思っている自分」が。
養老:変わる。変わるに決まっている。ですから、「今現在の自分」を、絶対視しない。これは当たり前のことなんですけどね。大人がそれを教えないといけないんです。僕なんか84歳までにどれだけ変わったか。
それを妨害するのが、「個性」とか「自己」を重視する今の風潮です。その人らしさとかね。いくらその人らしくしてみたところで、いずれ変わっちゃうんだから。らしくなくなっちゃっても、別にいいんですよ。――自分が変わるのが当たり前なんだから、自分が自分らしくあるなんてことはあり得ない。そして今の苦しみも続かないと。
養老:そうです。必ず変わるんですよ。
養老孟司氏、「どうせ自分は変わる」が心をラクにする:日経ビジネス電子版
だいぶ話が逸れた気がするが……まぁ、そうですね。一番言いたいこととしては、藤井風含むあまねく創作者につきまとう「満ち足りコンプレックス」みたいなのに物申したいということです。どうせ人は変わるのだから、満ち足りている状態が永遠であることなんてありえないんですよ。だったら満ちた状態を思う存分享受した方がいい、在るうちに。マリオのスター状態みたいなもんです。スターを取って棒立ちするヤツはいまい。思う存分利用するんですよ、光っているうちは。
だから私の今のアタラクシアル(!?)な状態も永劫ではないということです。実利的には、この状態であるうちにこの状態に入れる条件をまとめておくと後学のためになりますね。
とにかくインターネットの人間と交流しないのがコツな気がする。現実世界での交流を増やし、ソロゲームやアニメなどソロで完結する活動に没頭せよ。絵や音楽はアップロードするな。他者による外部刺激を極力遮断する。これで安全です。……心理学的にはおかしな話なのだが。マイナスのストロークでさえ無よりはマシと聞きまする。ただまぁ、インターネットの話だからね。現実世界ではマイナスのストロークでもないよりマシでしょうけど、インターネットにおいてはプラスのストロークさえ有害かもしれない。
ZA感想→特になし
以下のランダムツイッタラーの感想が私の感想とほぼ等価です。これですべて語り切られております。

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